

3.Stupeur et tremblements
「畏れ慄いて」
mardi 1 avril 2003, Paris / mercredi 2 avril 2003, Tokio up
これは先日、私が見た映画のタイトルである。
同名の小説が1999年にアメリ・ノソンブ(Amelie Nothomb)
というベルギーの若い女性作家によりフランスで出版されており、
その映画化である。
私は小説は読んでいないので、映画を中心に話を進めていこうと思う。
彼女は5歳まで日本で育ち、その後ベルギーに帰国するものの
日本が忘れられず日本の市民として生活したいと考え、就職活動を始める。
時は1990年、東京。
いくつかの就職試験を受け、彼女はめでたく(?!)
大手企業 Yumimoto 「弓元」で研修生として働くことになった。
しかし、そこで彼女を待っていたのは信じられないような
非人間性、権威主義、陰険ないじめで
彼女はこのタイトルどおり Stupeur et tremblements となるのである。
しかし決していじめに耐え、観客の涙をそそる「おしん」的なノリではなく、
あくまでもコメディとして描かれている。
おおお〜これがコメディかい?と私は驚いた。
自分のつらい体験をコメディ化して、
笑ってちょうだいっていうところが作者のすごいところ。
例えば、仕事を与えてもらえないアメリが、
社員の机にあるめちゃくちゃな日めくりカレンダーに気づき、
今日の日付に直していいか上司に許可をとる。
日本の会社は何をするにも上司に許可を取らないとダメ、
ということを大げさにコミック化している。
そして、カレンダーめくりという仕事ができたアメリの輝かしい表情。
「私の仕事〜!」
受けるフランス人の観客。
・・・笑いのつぼがわからんぞ。
アメリがへまをやらかしたり、
上司に叱られるたびに実際観客から頻繁に笑いが起きているのだが、
私には苦笑いしかできなかった。
本当にみんな腹の底から笑っているのだろうか?
それとも、アメリにではなく、
不可思議としか思えない、日本人に対しての笑いなのだろうか?
でもこれをシリアスな映画にしてしまうと、
本当に「おしん」の世界になってしまう。
それはフランス人のメンタリティーには合わないだろうし、私も見たくない。
物議をかもし出してしまうかもしれない。
でもストーリーはかなり壮絶である。
私はこの映画を見てかなり衝撃を受けた。
見ている間中、アメリがかわいそうでしかたなかった。
すべてがアメリに不利に働いているからだ。
アメリは一生懸命がんばってる、いつも明るいし、
どんな仕事だって嫌がらずにやってる。
なのに、苦労して上のポストを手に入れた女性上司であるフブキは、
新人のアメリがその積極性と運をつかんで一気に昇進するのを恐れて
様々ないやらしいいじめを繰り返すのである。
それでもアメリは友好関係を築こうと歩み寄るが無情にもはねつけられ、
その上ひどい言葉を何度も投げつけられる。
ううう〜かわいそうなアメリ。
フブキもこの会社も陰険で卑劣であり、信じられなかった。
しかしアメリはフブキの意地悪に泣き寝入りなんてしない。
一人でも闘うし、妥協しない。
しかしアメリのその態度はフブキをさらにいらだたせる。
だからアメリに負けを認めさせようと躍起になり、
アメリにはとても無理な仕事を任せる。
それでも鼻息を荒くし、受けて立つアメリ。
私にはアメリを西洋の象徴、
フブキを日本の象徴として戦わせているように思えた。
「西洋人は」とか「日本人は」のセリフに始まって、
二人を衝突させるのは少々鼻についたのだけど、
「日本の会社はこうですよ」っていうのを強調するのに、
観客である西洋人にはわかりやすいのだと思う。
でも別に人種差別からいじめの対象になったわけではないと私は思う。
要するに「出る杭は打たれる」である。
上司の許可を取らずに、仕事のチャンスをつかもうとした新人アメリは
フブキにとって「出る杭」であり、めざわりな存在なのだ。
「出る杭は打たれる」に始まって、厳しい縦社会、
新人(特に女性)は主に雑用係、上司から部下に対する罵詈雑言、
能力のある人が昇進していくシステムにはなっていないこと、
だからいくら才能があっても、仕事ができても、ちっとも報われない。
映画だからかなり誇張はあるものの、
日本独特の会社の体制がおそらく社員を苦しめているのは本当ではないかと思う。
この映画を見て、日本の会社を思ってなんだか暗い気持ちになった。
最近は長引く不況のせいで、
当てにできない会社のために尽くすなんてバカらしい、
転職なんて当たり前、仕事以外の時間を自分の時間に当てたい、
って考える若い人たちが増えているようだ。
生活のために仕事があるのであって、
仕事のために生活があるわけではないんだもの。
そう考えるのは自然なことだと思う。
会社って利益を追求する場所だから、
100パーセント満足して働くのは無理かもしれないけど、
実際働いてるのはロボットではなく、普通の感情をもった人間だもの。
せめて人間らしく働きたいと、みんな思ってるのではないかな。
朝早くから夜遅くまで、土曜日も日曜日も
来る日も来る日もロボットみたいに会社のために働いてたら
精神がだんだんおかしくなって、ついには病気になってしまうだろう。
病気にならないほうがおかしいくらいだ。
会社で働くことを、「宮仕え」なんて表現もあるらしい。
あああ〜中世の頃と変わってないのだろうか・・(涙)
ではフランスはどうだろう。やっぱり比べてみたくなった。
確かにフランスにも、不況、リストラはある。
それに職種によって働く条件も違ってくるだろうから、
ここでは一般的なフランスの会社の一例を紹介しようと思う。
★労働時間は1日7時間で週35時間、週休2日と決まっている。
★基本的に残業はない。
もし残業しても残業代はでない。
個人の勝手で残業していると見なされるのだと思う。
★お昼休みは、会社により2時間というところもある。
あと、1時間15分など。いろいろ。
★年間休日は5週間。(もちろん土、日、祝日以外で)
日本でも知られているバカンスである。
仕事の事なんか忘れて、家族や恋人と山や海でのんびり過ごす。
夏だからといって5週間まとめてとらなくても、
自分の好きな時に分けてとることもできようだ。
★コーヒー飲んだり、同僚とおしゃべりしながらのんびりと仕事ができる
(いいなぁ)お昼休み以外に休憩しても文句言われない
★お給料
最低賃金、手取り1000ユーロ(日本円で120000円くらい)
交通費、お昼代はお給料のなかに含まれているので、別手当てとしてはでない
ボーナスはなし
上司から日ごろの働きぶりの御褒美として何かを買ってもらったり、
おこずかいをもらったり、食事をおごってもらったりすることはあるらしい
★契約する時に、契約書に上記のような労働条件が書かれているので、
間違いがないか、よく確認して納得した上でサインする。
(もちろん、おしゃべりしていいよ〜とは書いてないです、念のため;^^)
もし不当にこき使われそうになったら契約書を突きつけて
「この条件だからサインした」と言えるくらい、契約書には重要な意味がある。
契約書をただの紙切れと思ってはいけない。
・・・なんだかうらやましい働き方である。
それでも会社はなんとか機能しているし、
先進国と言われている国である。
逆になぜ日本の会社は仕事が多いのか不思議でならない。
確かにお給料の面では日本の方が良いかもしれない。
(でも最近は不況でボーナスカットなんてのもあるらしいし・・)
それでもフランス人は余暇にバカンスに行けるくらいだから
ちゃんと生活は成り立っている。。
フランスのような働き方だと、精神的にも肉体的にも余裕ができて
仕事の効率も上がりそうだし、結果的に
働く人にとっても会社にとってもいいような気がする。
日本の会社も、ちょっと頭をやわらかくして
西洋の会社のいい部分を受け入れてもいいのではないかと思う。
どうして日本の会社はかたくなに昔からの方法に固執しているのだろう。
フランスと日本、どう違うのかな。
フランスは法律が労働者を守っている。
日本はどうだろう、労働基準法ってあるけど、
それなのにどうしてみんなロボットみたいに会社にこき使われているのかな。
何が労働者の権利を守ってくれるのだろう。
そういえば私が日本で働いてる時、「ノー残業ディ」なんて
架空の残業しない日があったっけ?
社員を帰らせるための放送が奇妙で、むなしい。
誰も帰ってないんだもの。
これではコメディである。
会社の体制の違いだけではなくて、消費者の意識の違いもあるのかな。
日本の消費者は商品やサービスに対して完璧を求めすぎるのだろうか。
それとも次々変わる流行のせい?
お客様は神様っていう精神が浸透しているせい?
企業はそれにいつも追いついて、いや先回りしていなければいけない。
いつもお客様の欲求を満たすべく、日々改善、前進していかなければならない。
速くて完璧が企業の売りで、
消費者である私には日本はとても便利で心地よく感じ、
遅くていい加減で、たまに無責任なところさえあるフランスに
きーっとなってしまうのは事実。
でも日本の「速くて完璧かつサービス満点」の陰でいったいどれだけの人たちが
心の中で悲鳴をあげているのだろう・・。
私の考えすぎだろうか。
それともそれとも、もっとメンタル的なことが問題なのだろうか。
「がんばる」ことが美徳の日本だから、
山のような仕事を「がんばって」やるのが当たり前なのかな。
そうしないと上司から「なまけもの」って叱られるのかな。
社会に出た大人なのに大人扱いされず、
子供みたいに叱られている人がいたっけ・・。
「出世」する人が世の中では偉い人なのかな。
もしそうだとすると、かなり複雑な根深い問題で、
何を改善していいのやらわからない、
だから改善されずに今日まで来たのかもしれない。
日本は自分をコントロールできずに走り続ける馬みたい。
わき目も振らず、走り続けて、疲れてきてもまだ走り続けて・・
何を目指して?
・・目標なんてないのでは・・・。
「日本の会社は社員にとって、とても厳しいから自殺者が多いんでしょ?」
この映画が公開されるずっと前、そうフランス人に聞かれたことがある。
「カロウシ」なんて言葉を知っている人までいる。
「日本人は勤勉」なんてもうこのきれいな言葉ではごまかしがきかなくなっている。
勤勉どころじゃないぞ。
勤勉だと尊敬されるかもしれない。でもそれを通り越しちゃってる。
もう笑うしかないだろう。(あ、作者の意図はこれかも!)
この映画の舞台は1990年、日本がバブルの時。
不況の今は働く人にとってあらゆる面(仕事、人間関係の悪化など)
もっと厳しくなっているにちがいない。
この映画を見て日本の会社のあり方に
Stupeur et tremblements となったフランス人に、
映画よりも今のほうがもっと厳しくなってるなんて知ったら、
一体どんな顔をするだろう。
Satoko
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畏れ慄いて
著者:アメリー・ノートン / 藤田真利子
出版社:作品社
本体価格:1,500円
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