ダンボールハウスアーティスト 武 盾一郎さんのお話 かつて新宿ホームレス・ダンボールハウス村で、通りすがりの人々をじっと見つめていた「新宿の左目」。その大きな左目の絵を描いたアーティストのお一人が、武盾一郎さん。新宿のダンボールハウス村や被災地で、まるで景色の一部のように、その場所の風景に溶け込んで、いろいろな作品を生み出してきた武さんのお話を、ぜひ、皆さん聞いてください。 武さんのお話 僕は、絵画っていうのは、部屋の中に綺麗に飾られて堪能するだけものではなくて、もっと人の傍にあるものじゃないかと、思ってたの。それで、たまたま偶然出会ったのが、新宿西口のダンボールハウス村だった。ダンボールハウス村に出会って、絵を描いたその日―1995年8月14日―終戦記念日の1日前―は、偶然なんだけど、僕の親父の田舎の伊勢崎が、終戦直前の最後の大空襲を受けた日。敗戦間近の日本に対してアメリカが残り弾丸をばらまいたなんて言われてるけどね。アメリカってつくづくムカつくんだよなあ。 この社会って自分の望む活動をしようとすると、すんごく生きにくくなっちゃうのね。僕も新宿で都庁の人から厭がらせをされたし。するとどうしても政治的なものにブチ当たっちゃう。僕の親父は左翼だったけど、僕は、マルクスとか左翼思想とは知らないし、読んでない。でも気付いたら「左翼」ってことになっていたんだ(笑)。 そうそう、ダンボールハウス村で絵を描いている中で、そこ(新宿西口地下道段ボール村)に精霊がいることに気付いたんです。それは僕が生きてきてとても重要な体験だった。彼(女?)らの存在がなければあそこまで沢山の絵を描けなかったんじゃあないかなあ。彼(女?)たちは僕にとてつもないイメージを与えてくれたんです。僕は精霊がいてくれないと絵が描けないって思ったほど。だから、精霊やら言霊やらもののけやらといったものに対する興味、っていうより信仰に近いものも含まれるんだけど、それらは新宿で描いてて芽生えたんです。モノや動物や植物とも、人間と同等かそれ以上にコミュニケーションをとる事が出来るんではないのかなあって。 1996年1月24日、新宿ダンボールハウス村強制撤去のときも、僕たちはあの場にいて描いていた。新宿西口地下道はあるときから、あのクソ都庁を倒してやりたい!っていう共通の目的を持つようになる。いろんな経緯の人たちが、全く異なる思いや事情を持って吸い寄せられてきた。そして知らず知らずのうちに自然と同じ方向を目指していた、渦の様に。肩を組んで連帯してるんじゃなくって、それぞれ自分(たち)の思惑の中で精一杯で、仲良しになる訳でも無い、だけど一つの方向にエネルギーがドワーっと流れている。それは、すごくドラマチックな体験だった。
僕は、今、毎日、共同制作者であり、恋人であるAYAさんとクロッキーをして、景色を見て、それを絵日記に描いて、今二人で制作している「月乃夢馬國」の世界を模索、制作しています。 満月ごとに更新するサイトです。 それと関連するんですが、それが月乃夢馬國なんです。 2002年4月13日 武 盾一郎さん談 武&AYA宅にて ご注意!
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